継ぐ人インタビュー 受け継ぐ
Vol. 2 2015.6.26 up
想いを共に共有し、発信する
楢原 泰一Yasukazu Narahara
ヒロシマピースボランティア
今、ヒロシマを語り継いでいる人たちは何を想い、何を伝えようとしているのでしょうか。
東京出身・在住の楢原泰一さん。
百貨店勤務の傍ら、東京-広島間を毎月往復し、広島平和記念資料館や平和記念公園を案内するヒロシマ ピース ボランティアとして活動されています。
楢原さんの広島にかける想いを伺いました。
平和活動を始めたきっかけ
楢原さんのご出身は東京と伺っています。
そうです。生まれも育ちもずっと東京です。
広島に目を向けられたきっかけというのは、どういうものだったのでしょうか?
ちょうど今から20年ほど前、1994年に初めて広島に行き、被爆者の方のお話を伺ったのがきっかけです。
男性の被爆者の方だったのですが、最後にこう言われたんですね。
「私がこのように被爆体験を伝えているのには理由があります。自分達の体験を少しでも後世に語り継いでいただきたいからです。」と。
被爆者の方達は、思い出すだけで苦しんだり、体の状態を悪くするような経験をされています。
それにも関わらず伝えている姿に、当時学生だった私は心を動かされて「分かりました。自分のやれる範囲でやってみます。」と約束しました。
そこでは1対1の約束だったかもしれませんが、約束した方の後ろには多くの被爆者がいらっしゃる。
その方々ともお約束をしたのだから、強く受け止めなくてはいけない。と思い、色々な活動に関わるようになったというのが出発点ですね。
ご自身のご旅行中にお話を聞かれたのですか?
いいえ、大学生協のPEACE NOW という取り組みの一環です。
PEACE NOWというのは、生協運動の一部の平和運動で、毎年、広島、長崎、沖縄、根室に、各生協から学生を派遣して、そこでいろんな事を学ぶ、という取り組みです。
初めて参加をした行き先が広島でした。
小さいころから戦争・平和というテーマには関心があったのでしょうか?
あまりなかったですね。学生時代には平和学習もありませんでしたし、現代史も戦時中・戦後の話はほとんど飛ばされていた気がします。
ですから広島行きも「機会があるから行ってみよう」という軽い気持ちで参加していました。
被爆者のお話を聞かれた後の、心の変化はどのようなものでしたか?
本当に、開眼というか、心を打たれてショックでした。
それまでは、どちらかというと核抑止、核の傘というのが存在して世界平和や秩序が保たれていると思っていました。
ところが実際に被爆者の方の話を聞くと、核兵器があるからこういう悲しい事実が起きている。
彼らは、その犠牲者であるわけですから、その人達を前にしてそういう発想はありえないなと、強く感じたんです。
被爆者の体験を後世に語り継ぐお約束をされたということですが、実際になにか行動をされましたか?
まずは、当時学生でしたので、同じ大学にいる仲間達に話しました。
他には、学園祭で、広島で学んできたことを模造紙に書いたり、いろいろなパンフレットを作って、参加者と意見交換をしたりしていました。
社会人になってからは・・・本当は会社の人達に伝えていきたいけれど、なかなかそういう話はしないですよね。最初のうちはどちらかというとアウトプットではなくて、自分で情報を吸収するインプットが主だった気がします。
発信したいけれど、発信する場がなく、しばらく悩む時期が続きました。
しかし、労働組合の役員になり、いろんな方と出会う中で「広島でセミナーをやりましょう。」という案が出てきたり、アウトプットをする機会が増えてきたのは嬉しかったです。
ヒロシマ ピース ボランティアの活動について
◆ヒロシマ ピース ボランティア
広島平和記念資料館内や平和記念公園内の慰霊碑を来館者と共に巡り、解説を行うボランティアガイド。
※以下「ピースボランティア」と呼ぶ。
http://www.pcf.city.hiroshima.jp/frame/Virtual_j/tour_j/guide2_8.html
楢原さんは現在、ピースボランティアという活動をされていらっしゃいますが具体的な活動内容について教えていただけますか?
ピースボランティアというは、広島平和文化センターという公益財団法人が運営している、登録制のボランティアガイドのことを言います。内容としましては、平和記念公園、資料館、この2つをガイドする。ということになっています。
ガイドの形式は2つあります。1つは定点解説といいまして、資料館は今、本館だけしかオープンしていませんが(注:平成28年春にむけて東館はリニューアル工事中)、その本館の色々なところに立って来館者の方に声をかけて解説をするというもの。
もう1つは、移動解説です。移動解説は、資料館の始まるところから最後までを案内しながら解説をしていくというものです。
これは平和記念公園でも行っています。
今200名強の方が登録をされていまして、曜日毎に20~30名程でグループを組み、自分の活動ができる日を1日だけ決めて、活動しています。
ピースボランティアになるには試験などあるのですか?
ありません。
ただ、応募の時点ではごく簡単な書類選考があります。
その後、約半年かけて研修がありまして、まずは、被爆の実相を学び、実際に資料館を先輩のガイドについて周ったり、被爆者の方の話を伺ったりします。
また、関連分野の専門家の方や平和運動をされている方からレクチャーを受けたり、お話をする仕方、話術なども勉強します。
約半年研修があり、その後また3ヶ月間くらい実地研修、実際に資料館の中に出て解説をするという訓練を積み、やっと認定されます。1年弱くらいずっと研修している感じですかね。
楢原さんはピースボランティアをされてどれくらいなのでしょうか?
平成21年からですので、7年目ですね。一番長い方だと17年目の方がいらっしゃいます。
1人のピースボランティアがガイドをされる人数は最大何人ですか?
声が届くという範囲で、多くても15人が限度ですね。
ピースボランティアはみなさん日本人なのでしょうか?
ほとんどは日本人ですが、英語、中国語、手話が出来るボランティアもいます。
また、お一人だけですが中国の方もいらっしゃいます。来館者はいろんな国の方やハンディキャップを背負った方もいらっしゃいますので、そういった方々にも対応できるようにしています。
ピースボランティアをされていた期間の中で、1番多く受けた質問はどんな質問でしょうか?
3.11以降は「広島と福島はどう違うんですか?」ということを聞かれる事が多くなりました。
それまでは、「広島の残留放射能は大丈夫なのですか?」という質問が多かったですね。
今後の目標と課題
活動をされている中で課題は沢山出てくると思うのですが、今の楢原さんの課題を教えて頂けますか。
そうですね。1番大きな課題は被爆体験の継承です。
事実を伝える、ということだけでしたら、資料館や本を見るだけでも事実を学べると思いますし、資料館のホームページには収蔵品を見ることが出来、その遺品一つ一つの想いに触れることも出来ます。
しかし、「想いを伝える」というのは容易ではないです。
ご本人からしか語れません。
人と人が会うと表情って日々変わっていくじゃないですか?
一生懸命聴いてくれる人がいればもっと前のめりになって話をするだろうし、その時の掛け合いによって大きく変わります。
映像は一方通行なので、なかなか想いを伝えきれない。
被爆者の平均年令は80才に近付いています。
ということはもう10年なし20年の間に直接の被爆者というのは0になります。
これは間違いないです。
残された私達がその想いを受け止めて、後世に伝えていくということになるわけですから、それは容易なことではないと思います。
確かに、その通りですね。今後の活動目標についてなにかビジョンをお持ちなのでしょうか。
大きな目標かもしれませんが、やはり広島平和記念資料館の東京分館をつくる事が私の目標です。
(広島は)東京から800kmも離れたところですから、なかなか来づらいですよね。
余程強い志をもったり、ご縁があるとか、お仕事の出張があるとか、そういうことでもない限り来る機会がない。
ですので、東京にそういう拠点があれば関東の方は来やすくなるだろうし、そこに来れば事実が学べるわけです。
外国の方は、広島に来なくても成田で降りて、東京見物の途中で見ることもできます。
それと海外に発信する時の拠点にもなりうるので、いつかつくることができたら、と思っています。
戦争を体験していない世代へのメッセージ
戦争を体験していない世代が、想いや記憶を継いでいくために必要なことは何だと思いますか?
「追体験」がポイントなのではと思います。体験できませんから、体験してはいけませんからね。
少しでもその時の事を想像して、頭の中でイメージすること。
「自分がもしそこにいたらどういう人生になっていただろう。」「どういう風に暮らしていただろう。」と考えてみることが大事だと思います。
平和というのは誰かがくれるものではないので、自分たちでつくっていかなければならないと思っています。平和を想像するって言いますよね。その時に重要なのはみんなが幸せに思える社会をつくっていくという想いを持つことだと私は思っています。
例えば、いじめをなくそうとか、ケンカしないでいきましょうとか、親を大事にしましょうとか、そういう当たり前のことなんですが、そういうことが守られている社会というのが平和な社会への第一歩なのではといつも思います。
最後に、この記事を読み「自分には何ができるだろうか。」と考えている方々へメッセージをお願いします。
百聞は一見にしかず、ですので、まずは一度でいいので広島に来て、そして資料館を見て頂きたいです。物見遊山、真剣な想い、どんな理由でも構いません。
まず来ていただいて、事実に触れていただくということが一番大事だと思います。
その中で、一つでも良いので「あ、これは」というものを見つけて頂き、お近くにいる方で構わないので、自分の想いを共有したり、発信したりすることが第一歩なのではないでしょうか。
2015年6月 取材
このサイトについて
「ヒロシマの記憶を継ぐ人インタビュー」は、第三世代が考えるヒロシマ「 」継ぐ展から生まれたプロジェクトです。
2015年から被爆者や平和活動を行っている人たちにインタビューを行っています。
今、ヒロシマを語り継いでいる人たちは何を想い、何を伝えようとしているのでしょうか。
そして、戦争を体験したことのないわたしたちは、何を学び、考えていけばよいのでしょうか。
知らなかったこと、深く考えてみようと思ったこと、現在とつなげて気づいたこと、そして、これからの未来について思うこと。
インタビューの記事をきっかけに、身近な人たちと話し合うきっかけとなることを願っています。