ヒロシマの記憶を
継ぐ人インタビュー
受け継ぐ
Vol. 1
2015.6.25 up

「考えさせる」平和学習を構築したい

保田 麻友Mayu Yasuda

Peace Porter Project 代表 / 広島市伝承者養成事業 1期生

保田 麻友さん

今、ヒロシマを語り継いでいる人たちは何を想い、何を伝えようとしているのでしょうか。
企画者の私たちと同じく、戦争を経験していない世代の保田麻友さん。
活動を始めたきっかけや、どういう想いで活動をしていらっしゃるか、また同じ若い世代のひとたちへ向けてメッセージを伺いました。

目次

  1. 平和活動を始めたきっかけ
  2. Peace Porter Projectの活動について
  3. 伝承者としての役割について
  4. 若い世代に向けてメッセージ

平和活動を始めたきっかけ

平和活動を始めたのは何歳の時ですか?

保田 麻友さん

大学2年生の時なので19歳のときですね。10年前になります。

きっかけは何だったのでしょう?

保田 麻友さん

大学1年生の時に友人に誘われてとうろう流しに参加をして、その時に初めてボランティアの人達がたくさんいらっしゃることを知りました。
とうろう流しを見たときに 「きれいだな。」と思う以上に感じるものがあって、私もボランティアとして参加をしたいと思いインターネットで探して、団体を見つけてメールを送ったのがきっかけです。

「感じるものがあった。」というのは、具体的にどのようなものですか?

保田 麻友さん

私自身、広島にずっと住んでいたのに平和記念式典に行ったことも、とうろう流しを見たこともありませんでした。
それで、8月6日に平和公園に行ったらこんなにも人が多くいるんだという驚きと、とうろうの数もすごい数だったので色々な方の想いが込められていることが伝わってきました。

ボランティアを調べるときは、どんな検索ワードで調べましたか?

保田 麻友さん

「とうろう流し ボランティア」で検索したと思います。

保田さんは、今現在は活動を牽引されている立場ですが、自然とご自身が中心となり動いていくようになったのでしょうか?

保田 麻友さん

色々な方との出会いがあって、10年間活動を続けられているなと思っています。ボランティアをはじめた次の年に、Peace Porter Project という団体を立ち上げることになったのも、多くの方のご協力があってのことです。
Peace Porter Projectの立ち上げは、とうろう流しのボランティア運営会議の中で被爆者の方の高齢化が進み、とうろう流しに行きたくても行くことができない人達が大勢いるという話が出たのがきっかけでした。
そこから、とうろう流しの代行をするためにユースボランティアを施設に連れていきませんか?という流れになり、それなら
当時20歳だった私が代表をやります。と。
自然と続けやすい環境だったから動いていけたと感じています

Peace Porter Projectの活動について

Peace Porter Projectのウェブサイト
保田さん代表のPeace Porter Project

http://www.kuredesign.net/ppp/main.html

https://www.facebook.com/peaceporterproject

Peace Porter Projectの具体的な活動内容を教えて頂けますか?

とうろう流しに来たくても来られない被爆者の方が、デイサービスや養護施設、また、個人の家にもいらっしゃいます。

そこに、35歳前後くらいまでのユースボランティアと訪れ、被爆者の方と一緒にとうろうに法名やメッセージを書き、
8月6日の元安川に供養の思いが込められたとうろうを、被爆者の代わりにボランティアが流します

また、その際に被爆体験や被災体験を聞かせていただくのも活動の一つです。

ボランティアに参加される方達は35歳前後ということですが、活動の中で見えた参加者の気持ちの変化などはありましたか?

ボランティアを行う高校生や大学生の子達は、被爆者の方達と真剣に向き合って、すごく真面目に話を聞いています。

最初は、そこまで被爆体験が出てくるとは思っていなかったと思うのですが、とうろうを書いていたら被爆者の方が自然と色々なお話しをしてくださるんですね。

それで、1対1で対話をしていると、被爆者の方も泣かれるし、聞いているボランティアスタッフも涙が出ているんですよ。

私は団体の主催者という立場で見たとき、これが「1対1で伝わること」なんだ、と感じました。

ボランティアが終わった後に、学生スタッフに感想を聞くと

今まで、自分は被爆体験を聞いたことがあると思っていたけど、1対1で聞いたのは初めてだった。より原爆や戦争というものが身近に感じた。」ということを言っていました。

多くのボランティアが、当時約14万人の方が亡くなったと言われていますが、14万通りの人生があったということが、初めて実感として分かったのだと思います。

このような活動も、平和学習の1つではないか、と思っています。

現在Peace Porter Project に参加している人たちは、広島の方が多いのでしょうか?

県外からも来られています

10年続けているので、当時大学生だった人が県外に就職して8月6日になる前に戻ってきて、活動に参加し、会社の会報誌や学校の先生としてそこで得たものを次に伝えてくれています。

企画展を立ち上げた際、平和教育という言葉自体を、東京以北の人たちは身近でない印象だったのですが、関東や東北からの参加はありますか?

東京は若干いらっしゃいますが、東北は来られていません。機会があれば興味を持っていただきたいですね。

伝承者としての役割について

◆被爆体験伝承者の養成

被爆者の高齢化が進む中、被爆者の体験や平和への思いを継承し、概ね3年間をかけて被爆体験伝承者を養成する。

https://www.city.hiroshima.lg.jp/site/atomicbomb-peace/10164.html

保田さんは、Peace Porter Projectの活動の他に、伝承者の資格を最近とられたと伺っています。

保田 麻友さん

はい。私は1期生です。

伝承者の内容について教えてください。

保田 麻友さん

伝承者になるには、3年間研修があります。
1年目は被爆の実相を学び、20人くらいの証言者の方の話しを聞いて、自分が誰の被爆体験を語り継いでいくかを決めます。そして、証言者とのマッチングが無事に終わると、2年目からはグループになるのですが、証言者の方と、月に2〜3回、1対10などでグループ研修を行っています。
3年目は、45分9000文字の原稿を作成します。また、3回講話のテストを受けて合格します。アナウンサー講座など話法の勉強もしました。

どうやって応募したのですか?

保田 麻友さん

たまたま広島市の広報で伝承者募集というのを見て応募しました。
ボランティア活動を続けている中で、被爆者の悲痛な叫びや平和への想いを何かしらの方法で伝えていきたいと思っており、その方法を悩んでいました。
私と同じ世代の伝承者は、小説だったり肉親だったり、何かしらのきっかけがあって何かしたいと思うけれど何をすれば良いか分からない中、伝承者募集があり、良い機会だと思い応募した、という感じでした。

3年間も研修は大変ですね。途中で離脱する人もいるんじゃないですか?

保田 麻友さん

はい。1期生は応募が130人だったのですが、4月に伝承者となったのは50人です。
私よりも年齢が下の子もいましたが、現在は私が最年少です。
でも、まだこれから年度を越えて研修修了するということもあり得ます。

3年間意志を持ち続けて、というところが大変なのでしょうか?

保田 麻友さん

平日の研修になるので、仕事しながらだと大変ですね。
でも、交通費も多くかかる中、県外から通って来られる方もいて、熱い想いを持って頑張ってらっしゃる方がたくさんいましたね。

県外の方が伝承者になるというのは、何がきっかけだったのでしょう?

保田 麻友さん

若い方は特に、大阪・兵庫の方が多かったのですが、平和学習が盛んだったらしいです。
確かに、私がおこなっている活動(PPP)にも関西の方の参加が多かったです。
北海道や九州からなど、被爆者との出会いや、戦争を題材にした本との出会い等、人によってきっかけは様々あるようです。

若い世代に向けてメッセージ

これから、被爆者の生の声がなくなり、次の世代の人達が伝えていかなくてはいけないと思うのですが、「継ぐ」ために必要なことはなんだと思いますか?

「自分にとってのリアルである」ことが必要だと思います。

戦争体験者じゃないのに戦争を語れるのか、と言われるかもしれませんが、何かリアルがあると体験していなくても想いが伝わると感じています。

自分のおじいちゃんから聞いた、とか、周りの人とこんな関わりがあった、とか。

それは、東京であっても北海道であっても、必ずそこでは戦争がおきていたのでそういった自分と関わりがあるものを少し入れることによって、リアルさが増すと思います。

聞いたものだけをそのまま流して伝えても、やっぱり何も継げないように思います。

私にとってのリアルは、ボランティアで関わった被爆者の方の怒りや悲しみ、笑顔など全てです。

行動するためには、考えることが絶対必要です。

自分自身の経験から言うと「知って、感じて、考えて、行動する」ことが重要だと思います。

それって、何か1つでも抜けたら無理だと思うんです。

感じるものがないと行動できないとか、行動しても考えられていないとか。

現在の広島市の伝承者事業は、追悼平和祈念館で順に伝承者が講話をしています。しかし、私は、講話だけでは意味が無いと思っており、友人とワークショップをメインとした伝承事業を行っています。

「考えさせる」平和学習を構築したい。その中で、伝承者として被爆体験の話をしたいと考えています。

講話のみでは意味がないと思われたのは、実際にお話された経験からでしょうか?

はい。私自身、何度か修学旅行などでも講話をしたのですが、どうしても話し終わったあとに生徒さん達が何を感じているのかが、100人もいると分からないんです。それに対してすごくモヤモヤしていて。

これを、被爆者の方はずっと繰り返してきたのだと思うと、すごく辛かったんです。

やっぱり、話を聞いてそれで終わりではなくて、何か行動してもらってからはじめて報われると思うので。

行動をするところを見届けるまでが平和学習なのではないかと思います。

人から人に伝わるものというのは、対話であったり、近い存在と感じるものが重要なのですね。

広島だけじゃないですが、その場所に実際に行くことも重要だと思います。

証言者の方がいなくなったら、修学旅行などの選択肢に広島が減っていくのではないかという危機感があります。そうならないように、私たち伝承者がいかにバトンタッチするかという大事な時期であるという意識が強いです。

保田さんみたいな人が全国に増えるといいですね。

そうですね。私一人だとやはり限界があるので。

伝承者が全国各地にいることはとてもいいことなのですが、講演依頼を待つだけではなく、行動力が必要になってくるのかなとも感じています。

私たちの世代では、県を超えた横の連携、各地方の歴史も取り入れながら、全国各地で紹介できる機会をもっと増やしたいと思っています。

そのためには、仲間がいないといけないです。横のつながりが。

そうやって動くことで、70年間、私たちに二度と同じ思いをさせたくないと声をあげ続けてくれた被爆者の方に恩返しができるんじゃないかなと思います。

私たちはクリエイティブの力で、できる限りの広島を伝えていけたらと思っています。

そういう取り組みのモデルが全国各地で色々あると行動を起こしたいと思った人が、その人にあったものを選んで取り組んでいけるのかな、と思います。企業と組んでもいいし、誰と組んでもいいと思うので。

ありがとうございました。
東京の保田さんになれるように私たちもがんばります。

2015年5月 取材