継ぐ人インタビュー 受け継ぐ
Vol. 17 2021.1.24 up
ツアー参加者には、知識を一方的に伝えるのではなく、問いかけや対話の時間を大切にしています。
山口 晴希Haruki Yamaguchi
NPO法人PCV 教育事業統括ディレクター
今、ヒロシマを語り継いでいる人たちは何を想い、何を伝えようとしているのでしょうか。
2020年7月、広島平和記念公園内にリニューアルオープンをしたレストハウス。
その中でPEACE PARK TOUR@REST HOUSEや小中高生に向けたPEACE DIALOGUE(平和学習プログラム)の企画・運営をしている山口晴希さん(27)に活動内容を伺いました。
平和活動に携わるきっかけ
山口さんが現在の活動に携わることになったきっかけを教えてください
2019年に、横川にある「広島ゲストハウス縁」で、レストハウスの平和学習プログラムを企画・運営をしているNPO法人 PCV(Peace Culture Village)のメンバーに声をかけられたことがきっかけです。
私は旅が好きで、バックパッカーとして海外や日本を旅する中で、ゲストハウスの魅力に惹かれました。その中でも特に「広島ゲストハウス縁」という場所が好きで、週末だけヘルパーという形でベッドメイキングや、1階のカフェバーのお手伝いをしていました。
PCVのメンバーもスタッフとして働いていたり、カフェバーを使ってよくミーティングをしていました。
当時、私はヘルパーの他にMagical Tripというツアー会社のガイドとして、海外の人たちを対象に月に数回平和公園や宮島を英語で案内していました。
私の経歴を知ったPCVメンバーから「来年(2020年)7月にリニューアルオープンをするレストハウスで毎日ツアーを行うから一緒にやらない?」と声をかけていただきました。
平和活動は昔から興味があったのですか?
広島で生まれ育ち、小さい頃から平和学習を受けてきましたが、私にとって平和学習は怖いもので、壁があったように思います。
大学時代に海外を1人旅したり、バンクーバーに1年間滞在をしている際、私が広島出身者だと話すと、必ず「広島は、今は大丈夫なのか?」「放射能は残っているのか?」と、原爆について質問をされました。
その時、自分の生まれ故郷である広島の歴史について全く話せず、悔しかった経験から、英語でヒロシマについて話せるようになりたいと思うようになりました。
ただ、あまりに深く複雑なテーマで、学生の時は途中で学ぶことをやめてしまいした。
大学生の時に学ぶことをやめた広島の原爆について、もう一度学び直そうと思われたのはいつからですか?
社会人2年目からです。
アステールプラザが主催する広島市国際青年ボランティア事業に参加して海外の人との異文化交流や平和公園を英語でガイドするプログラムに参加しました。
その流れで、8月6日に日本語でガイドをされる方に付き添い、その言葉を英語で同時通訳をするボランティアへ応募をしました。
通訳の研修を通して「通訳としての言葉ではなく、自分の言葉で海外の人にもっと原爆について伝えていきたい」という思いが高まりました。
その後、ご縁があって先ほどご紹介したMagical Tripのツアーガイドとして活動することになりました。
平和活動への原動力は「英語でヒロシマを話せるようになりたい」から始まり、今は「ヒロシマの歴史を自分事として考えるきっかけづくりをしたい」と思いながら活動しています。
山口さんの活動について
PEACE PARK TOUR@REST HOUSEはどういった内容のツアーですか?
被爆建物のレストハウスを起点として、かつて広島有数の繁華街だった中島地区の暮らしに焦点を当てたツアーです。
20代を中心とした日本人とアメリカ人・イギリス人のバイリンガルチームで運営をしており、日本語と英語で平和公園の中を案内しています。
案内をする際には、被爆前の中島地区を再現したCGやAR(現実世界に仮想風景を重ねる技術)といった最新テクノロジーを取り入れながら解説をしています。
ガイドをされる際に心がけていることはありますか?
参加者の方にはツアー参加の動機を伺い、広島の原爆について予備知識がある人には、新しい情報・気づきがあるようなガイドを心がけています。
逆に、初めて広島を訪れるような人たちには、情報過多にならないように、わかりやすい言葉を使って心に響くガイドができるよう工夫にしています。
初めて広島に訪れる人たちにガイドをする際、情報過多にならないように心がけている理由はなぜですか。
ガイドとして限られた時間で何を参加者に届けたいかを考えたときに、受け身ではなく自分自身で考え、感じたことを話す機会を作る方が大切だと思ったからです。
アクティブラーニングの中に、人の学習定着率は、講義を聞くだけだと5%、グループ討論だと50%、自ら体験すると75%、他の人に伝えてアウトプットをすると90%という考え方があります。
ツアー参加者には、ヒロシマの出来事を自分事として捉えていただきたいので、知識を一方的に伝えるのではなく、問いかけや対話の時間を大切にしています。
参加者に対し、具体的にどういった問いかけをされているのですか。
いろんな問いを投げかけていますが、その中でも特に大事にしている問いかけの時間が3回あります。
その時間を私たちは『想う時間』と呼んでいます。
その中の1つは、中島地区に住んでいた人たちの原爆当日の朝と、自分の生活の中にある朝を比較し、この場所で何が起こったのかを想像していただくといったものです。
また、ツアーの最後には『振り返りの時間』を設け、「今日巡った場所やガイドの話の中で、何が一番印象的だったか、何を感じたか。」を振り返り、ツアーを通して参加者自身の「大切にしたいヒト・モノ・コト」について尋ねます。
参加者からは「『想う時間』や『振り返りの時間』が、ツアーの中で一番印象に残っている」という感想をよくいただきます。
ツアーと並行して行われている小中高生へ向けたPEACE DIALOGUEとはどういったものですか?
広島で平和活動を行う10代20代の若者が修学旅行で平和公園を訪れる生徒達と対話(ダイアログ)を通して平和を主体的に考えるきっかけを提供する平和学習プログラムです。
他にも、学校へ行きディスカッション式で行う授業や、オンラインでの授業・平和公園からのライブ中継・被爆者講話など、毎回内容をカスタムしながら行っています。
どのプログラムでも大切にしている事は、「答え」を伝えるのではなく、一人ひとりが自由に考える「問い」を提供することです。
2020年7月からの半年間でプログラムを受けてくれた生徒数は2000名を超えました。これからどんどん新しいプログラムを増やしていきたいと思っています。
ガイドの中で、やりがいを感じるのはどういった時ですか?
やっぱりガイドを終えた後に、参加者から感想を頂いた時ですね。同じコースを回っても、参加者が違えば、話す内容も変わってきますし、頂く感想も様々です。私自身、毎回ツアーの中で新しい発見があり、学びがあります。
海外から来られた方から「自分は何も知らなかった。本当にありがとう。」と感謝されたり、高校生から「平和活動ってかっこいいですね」という言葉をもらったりすると嬉しくなります。
参加者にとって私と過ごす時間が楽しければ、広島が良い思い出の場所になるわけですよね。ガイドの私が広島のイメージになる。そんな仕事ができるのは、すごく幸せなことだと思っています。
若い世代へのアプローチについて
現在の活動は比較的平和学習に関心が高い人たちへ向けて行っていると思いますが、関心が低い、特に若い人たちにはどういったアプローチをされていますか?
InstagramなどのSNSでの発信や、VRやARといった最新技術を取り入れた平和学習を行うことで、興味を持つ人が増えていけばいいなと思っています。
また、平和学習=怖いものと捉えている人も多いので、PEACE DIALOGUEという新しい平和学習を沢山の人へ届けていきたいです。
若い世代が平和活動を継続するためにはどういったことが必要だと思いますか。
平和活動に関わりたいと思っている若者は一定数いますが、ボランティアがほとんどです。その活動だけで食べていくことは難しいので大学を卒業するとやめてしまう人が多いと感じます。
私たちが運営しているPEACE PARK TOUR@REST HOUSEの参加費は大人1人3000円です。ボランティアではなく、有償で予約なしでも受けられるツアーを毎日催行するということは今までにない形でした。
長い目で見たときに「平和に携わる仕事」が、1つの産業として成り立つことが出来たら平和活動を継続する若い人たちも増えてくるのではないかと思っています。
PCVがそのモデルケースになればいいなと考えています。
今後の目標と若い世代の人たちへのメッセージ
若い世代の平和活動への参加を期待されていますが、広島以外の人たちも対象でしょうか?
はい。今はまだ広島に住むメンバーが中心ですが、輪を広げていきたいです。
「広島に住んでいるから」「被爆三世だから」という線引きをせず、活動に参加したい人がいたら県外、海外の人でもぜひ一緒に行えたらと思っています。
自分の経験から出てくる言葉や伝え方がきっとあるはずなので、その人らしさを活かし活動して欲しいなと思います。
PCVとして、今後の目標やビジョンはありますか?
PCVが大切にしている「平和文化」をコンセプトにピースワーカーが先生となって、一人一人が「生き方」を考えるためのオンライン上の学校『PCA(PEACE CULTURE ACADEMY)』を今年立ち上げようとしています。
全国の平和活動をしている若い人たちが集まって学びをインプットするだけではなく、アウトプットや実践する場を大事にしていきたいと考えています。
私も広島以外の歴史や、他の人たちの考え方を知りたいので、集まった人たちで情報交換をしながら学び合える場所を目指していきたいと思っています。
いずれは国を超えて世界全体で情報発信や交流をしあう場所がつくれたらと考えています。
最後に、山口さんと同世代の人たちへメッセージをお願いします。
私は被爆三世です。今でこそ、被爆者である祖父から原爆当時の話を聞きたいのですが、平和活動に興味を持ち始めたときには祖父はもう亡くなっていました。
祖父が生きていなかったら今の私はいない。そう思ったときに、75年前に広島で起こったことは遠い昔の話ではなく今の私に繋がることだと考えています。
広島だけではなく長崎、沖縄、鹿児島、日本各地に戦争の被害があります。
だからこそ、是非、おじいちゃんやおばあちゃんと対話をする機会をつくって欲しいなと思います。
「当時はどんな生活だったの?どんなものを食べていたの?」という他愛のない会話から始めてみたらいいかもしれません。
そこから「中学時代はどんなことがしたかった?」「空襲の時はどんな感じだったの?」「どんな夢があった?」と質問を重ねていくと、自分が思ってもみなかったエピソードが聞けるのではないかと思います。
私たちのおじいちゃん、おばあちゃん世代が体験した戦争は、過去の出来事ではなく、現在進行形で起こっている「今の出来事」です。
私は海外に出たからこそ、自分が生まれた日本や広島を、外から見ることが出来て、学びが沢山ありました。海外では今も、戦争や紛争が日常としてある国がたくさんあります。海外に出たことがない人にはぜひ日本を出て欲しいです。
きっと、自分の考えが深まったり、変わったり、新しい発見があると思います。
今を生きている私たちが一体何ができるのかを、私自身も若い世代の人たちと一緒にこれからも考え続けていきたいと思います。
2020年10月 取材
このサイトについて
「ヒロシマの記憶を継ぐ人インタビュー」は、第三世代が考えるヒロシマ「 」継ぐ展から生まれたプロジェクトです。
2015年から被爆者や平和活動を行っている人たちにインタビューを行っています。
今、ヒロシマを語り継いでいる人たちは何を想い、何を伝えようとしているのでしょうか。
そして、戦争を体験したことのないわたしたちは、何を学び、考えていけばよいのでしょうか。
知らなかったこと、深く考えてみようと思ったこと、現在とつなげて気づいたこと、そして、これからの未来について思うこと。
インタビューの記事をきっかけに、身近な人たちと話し合うきっかけとなることを願っています。