継ぐ人インタビュー 語り継ぐ
Vol. 1 2015.6.1 up
「書いておかないといけない」という想いがありました。
永田 政美Masami Nagata
被爆者
今、ヒロシマを語り継いでいる人たちは何を想い、何を伝えようとしているのでしょうか。
17歳の時に自転車で自宅へ帰宅中に爆心地から約1.8kmの地点で被爆をされた永田政美(86)さん。
当時の被爆体験、爆心地周辺の状況、また体験談を記録に残したきっかけや今の想いを伺いました。
被爆時の状況
永田さんが被爆された時の状況を教えていただけますか。
私は旧制広島高等学校1年生で、広島市近郊の日新製鋼に学徒動員中でした。8月6日の早朝は、教官からの指示を受け当時の動員先の兵器廠(へいきしょう)に赴きました。
その後、自転車で自宅へ帰宅中に爆心地から約1.8kmの地点で被爆しました。
突然の爆風で目がくらみ、3~4m先の地面に叩き付けられ気を失いました。
気が付くと飛んできた瓦が頭部に当たり、数か所の裂傷で血だらけ。
左耳と首筋は大やけどをし、右足のくるぶし近くは大きな穴があいて、血を吹いていました。何が起きたのか判らないまま、煙と埃の渦巻く中を手で口をおおい、指の間で息をしながら自宅まで数百メートルを歩きました。
今にして思えば、熱傷、外傷等は負ったものの、被爆のわずか約15分前には爆心地を通過中でしたので、運命の偶然に救われたというほかありません。
永田さんのご家族はご無事だったのでしょうか。
祖母は亡くなりました。
兄、姉は、爆心地あたりを中心に、連日市内全域にわたって探し歩きましたが、今でも行方不明です。
また、父が原爆に起因する病で2年後に58歳で死亡しました。
永田さんご自身も怪我をされていたのに、市内を毎日探されたのですか。
はい。姉は県庁職員として家屋疎開作業に従事していましたので、県庁付近を探しました。
井戸の中に人間が何人も重なって沈んでいて、男女の見分けもつかないので、燃えさしの棒で何度も上下を入れ替えたりして確かめようとしましたが、判りませんでした。
他にもご家族を探しに来られた方はいらっしゃいましたか。
郊外から肉親の安否を求めてたくさんの人たちが来ていました。
被爆後の市内の状況を教えていただけますか。
当時は焼夷弾攻撃に備えてあちこちの路上に防火水槽があったのですが、その中には焼けただれた人たちが折り重なり、凄惨な状況でした。
県庁の正面あたりから北に延びる路上や瓦礫の上にも、黒焦げの遺体が沢山転がっていました。この付近はたくさんの男女の中学生や、挺身隊員(ていしんたいいん)が疎開作業に従事していたそうです。
市内には、医者がいなくなり、薬局もなく、食糧も極端に不足していました。けがや火傷の薬もない状態でしたが、毎日夕方5時頃、兵隊さんが皆を一ケ所に集めて白い油薬を患部に塗ってくれました。
家が焼けた家庭の風呂はトタンを立てて囲いを作り、ドラム缶を浴槽代わりに入浴している姿が多く見られました。
何もない中で一人ひとりが考えて生活されていたんですね。
そうですね。被爆後2~3年は誰もが不自由な生活を強いられ、安定した心豊かなコミュニティの維持が出来ずによく争いが起きていました。
一方で、農家だった私の家には、「野菜を分けてほしい」と多くの人が訪れてきましたが、父が無償で分けてあげる姿を見たことを覚えています。
母も、万一のためにと保管していた薬を近所の人に分けていました。
被爆体験を語り始めたきっかけ
被爆体験について、記録しようと思ったきっかけは何ですか。
勤務していた先の原爆体験記の募集に応じ、「中国郵政」という機関紙に投稿したのがきっかけです。
被爆された方で、8月6日のことはどうしても書けないという方もいらっしゃいますが、永田さんは書いて残そうと思われたのですね。
はい。人に伝えたい。「書いておかないといけない」という想いがありました。子や孫たちにも話しています。他の場所でも機会があればお話ししています。
お話しをされる際はどういった内容を中心に伝えていらっしゃいますか。
被爆の実体験をもとに原爆のもたらす惨禍の凄まじさ、核廃絶への願いなどです。
被爆体験を聞いてその悲惨さを想像すれば、どんな理由があろうとも戦争は絶対にやるべきでない。と思うはずだと思います。
戦争を体験していない世代へのメッセージ
戦争を体験していない、知らない世代が平和の実現のためにこれからしていくべきことは何だと思いますか。
関心を持つこと。関心を持って人の話を聞き、自分も勉強し、一つの自分としての考え方を持つ人間になることが大事なのではないでしょうか。
そして問題意識を持つこと、正しい問題意識を持つためには、自分ができる範囲で勉強もし、人に質問をし、自分の考えを、筋も通り弾力性もある一本の幅広い線として持つ。
そうして本当の意味で平和を実現させるために、この問題をどういう風に持っていったらよいかを、できなくても「考える」、「話し合う」ことが大事だと思います。
関心を持つこと。問題意識を持つこと、考える、話し合うこと。大事ですね。
第二次世界大戦については、様々な記録や画像が新聞や雑誌、TVなどを通じて語られ、伝えられています。
どうかこれらの記録類に真剣に関心を寄せ、勉強して日本の過去の歴史について理解を深めてほしいです。
同時に、国の内外に多くの悲劇をもたらした戦争や原爆が残した貴重な教訓を風化させることのないよう、核廃絶の必要性について、機会あるごとに周囲の人々と積極的に話し合うことが必要であると思います。
2015年6月 取材
このサイトについて
「ヒロシマの記憶を継ぐ人インタビュー」は、第三世代が考えるヒロシマ「 」継ぐ展から生まれたプロジェクトです。
2015年から被爆者や平和活動を行っている人たちにインタビューを行っています。
今、ヒロシマを語り継いでいる人たちは何を想い、何を伝えようとしているのでしょうか。
そして、戦争を体験したことのないわたしたちは、何を学び、考えていけばよいのでしょうか。
知らなかったこと、深く考えてみようと思ったこと、現在とつなげて気づいたこと、そして、これからの未来について思うこと。
インタビューの記事をきっかけに、身近な人たちと話し合うきっかけとなることを願っています。