継ぐ人インタビュー 受け継ぐ
Vol. 9 2017.5.4 up
怖いからと「知ること」をやめないでください。
どうか周りにも、かつてあった戦争を伝えてください。
さすらいのカナブンsasurai no kanabun
会社員
今、ヒロシマを語り継いでいる人たちは何を想い、何を伝えようとしているのでしょうか。
祖母の被爆体験を日英の漫画にしてインターネット上で公開している、ペンネーム「さすらいのカナブン」さん。
漫画を描かれたきっかけや、伝えていきたい想いを伺いました。
漫画を描かれたきっかけ
まず、「さすらいのカナブン」さんご自身について教えていただけますか。
広島県三次市出身の会社員です。広島に在住しています。
被爆体験を「漫画」という形で描こうと思われたきっかけを教えてください。
高校生の時、被爆体験を国語表現で文章にまとめ、発表しました。
しかし「文字による発表」では誰の興味も引けませんでした。
「被爆体験」というタイトルの印象だけで、「ああ原爆に遭っていろいろあったのね」と予想されてしまい、改めて読もうと思われなかった。わざわざ悲惨な話を手に取ろうとする人もいなかった。
国語表現の文集の一つとして埋もれてしまい、今、後輩で読んでいる人も少ないのではないでしょうか。
しかし「絵」という形なら、「これはなんだろう?」と人の興味を引くことができる。自分なら手に取ってみると思いました。
「はだしのゲン」が学級図書にあり、周りの人たちが読んで話をしているのを体感していただけに、漫画の力を信じていました。
私がまだ小さい頃は、広島市から離れた三次の田舎の周囲ですら被爆者や原爆を知る人が多く、祖母もその一人でした。
毎年夏になると、学校で被爆体験の聞きとりが宿題にでたり、被爆者の方を招いて講話が開かれたり、アニメが流れたりしていました。
「昔あった出来事」として普通に話題にのぼっていました。
被爆体験を追っているうちに、体験談を聞いて「戦争は怖いね。原爆は二度とあってはいけないね」とみんなで話し合い、そこで終わってしまう印象を受け始めました。
別に悪いことではありませんが、被爆者の体験談はその場で語られて終わり、亡くなった人の話を継ぐ人もいない。
それは小学生のときの夏休みに聞き語りでお話を伺った「椿のおじさん」もそうでした。話は聞いてまとめたのに、それはもう残っていません。
確かに「戦争はこわいね」と話し合い共感しあうことは大事ですが、そこから何ができるのか、どう行動するのかまで進んでいなかった気がします。
当時は被爆者がまだ多く存命しており、いつでも話が聞け、被爆者自身が行動できる時代だったからでしょうか。
ネットという手段で漫画を広く公開した理由を教えてください。
漫画を本にしても、本屋で手に取らなければ読んでもらえません。
原爆の漫画を、わざわざお金を出して買おうと思う人はさらに少ないのではないでしょうか。
でもネットで、無料で公開されていたら、ちょっと読んでみようかなと思う人は多いはずです。
本屋に行かなくても、広島にいなくても、読むことができます。
祖母の体験を知って頂きたかっただけなので、本という形にはせず、ホームページで公開しました。
公開した後の反響
漫画を公開された後の反響で、さすらいのカナブンさんが心に残ったものを教えてください。
感想の一つを紹介します。
『原爆にあった少女の話を拝見させて頂きました。
私は25年生きてきましたが、広島原爆投下については何度か学ぶ機会がありました。
けれど、電鉄を運転する少女、その女学校については聞いた事がありませんでした。
今もまだ語られない存在があり、語り尽くせない程の人々の人生を変えたのが原爆なんですね。
そして戦争。私はもちろん自分自身で戦争も原爆も経験した事がありません。
更に身近にもそういった方の存在はなく、直接、話を聞く機会はありませんでした。
ただ、学生時代に行った広島の平和記念資料館の記憶は未だに鮮明に覚えています。
奇跡的に生き延びた方々の絵は衝撃的なものでした。
ですが、言葉で、絵で語られても、私は被爆者やその惨状をみた人達の半分も理解する事ができないのです。そんな恐怖を、脅威を感じた事がないから。
それはあれから平和であり続けた日本だから、私には理解できないのだと思います。
でも、理解する事は出来なくても、知る事は出来る。
原爆がどういうもので、どんな事をもたらし、それが人々をどう変えてしまうのか。
今の平和を生きる私達には知る義務がある。
それは今後、同じ事を繰り返さないための唯一の方法だと思います。
国が、憲法が、周りの人が戦争を反対するからではなく、自分の心で、戦争を反対しなければならない。
~中略~
この祖母様の記憶が、たくさんの人々に平和をもたらします様に。これからの明るい未来を信じて。乱文、長文失礼致しました。 by いまちゃん』
あとは、反響の中で広島や長崎以外では8月6日と9日は普通の日で、平和学習も力をいれていないところが多いという事実に驚きました。
ただ、今は被爆者もいなくなり、直接体験を聞く機会が少なくなりつつあるので、いずれ広島でも遠い出来事になるのかもしれません。
伝えていきたい想い
今後、漫画やこれまでの活動、知識を通して、戦争・平和・ヒロシマ関連の新しい活動を考えていらっしゃいますか?
のんびり漫画を続けていけたらいいなと思います。
日常で原爆や戦争の話をすると、なんだか煙たがられる印象ですから、
興味をもたれたときに「こんなのがありますよ。」と提供できるくらいで、ちょうどいいのかなと思っています。
最後に、継ぐ展に足を運ばれる方々へのメッセージをお願いします。
戦争はいつの間にか始まるもので、日常からの地続きです。
原爆や戦争について知り「これだけはいやだ」という気持ちを持つことが、戦争を抑止することになり、平和を続ける原動力になるのだと思います。
怖いからと「知ること」をやめないでください。
どうか周りにも、かつてあった戦争を伝えてください。
ありがとうございました。
「原爆に遭った少女の話」「ヒロシマを生きた少女の話」はさすらいのカナブンさんのサイトから読むことができます。
http://sasurai.o.oo7.jp/
2017年5月 取材
このサイトについて
「ヒロシマの記憶を継ぐ人インタビュー」は、第三世代が考えるヒロシマ「 」継ぐ展から生まれたプロジェクトです。
2015年から被爆者や平和活動を行っている人たちにインタビューを行っています。
今、ヒロシマを語り継いでいる人たちは何を想い、何を伝えようとしているのでしょうか。
そして、戦争を体験したことのないわたしたちは、何を学び、考えていけばよいのでしょうか。
知らなかったこと、深く考えてみようと思ったこと、現在とつなげて気づいたこと、そして、これからの未来について思うこと。
インタビューの記事をきっかけに、身近な人たちと話し合うきっかけとなることを願っています。