ヒロシマの記憶を
継ぐ人インタビュー
受け継ぐ
Vol. 18
2022.10.17 up

「被爆者の想いを受け継いでいかなくてはいけない。忘れてはいけない。忘れないように次の世代に伝えていかなくてはいけない。そう、強く思っています。」

青木圭子Keiko Aoki

被爆体験伝承者1期生

青木圭子さん

今、ヒロシマを語り継いでいる人たちは何を想い、何を伝えようとしているのでしょうか。
被爆体験伝承者やピースボランティアとして20年以上、平和記念資料館の解説や、平和記念公園の碑めぐりに携わっている青木圭子さん(69)。
平和活動をはじめられたきっかけや、想いを伺いました。

目次

  1. 活動を始めたきっかけ
  2. 活動の中で大変だったこと。やりがいを感じたこと。
  3. 今後の課題や目標
  4. 若い人たちへのメッセージ

活動を始めたきっかけ

青木さんは、広島出身者ではないのに、20年以上も広島で平和活動を続けていらっしゃいます。
今日はその原動力や、活動のきっかけについてお伺いしていきたいと思います。

青木圭子さん

よろしくお願いします。そうですね。私は今、広島に住んでいますが、広島出身ではありません。
長崎に生まれ、2歳から名古屋に住み、大学進学で東京に上京しました。
広島は、結婚がきっかけで住み始めました。 平和教育を受けずに育ってきましたので、広島に原爆が落とされたことは知っていましたが、こういった活動に携わるまで詳しいことは何も知りませんでした。

平和活動を始められたきっかけについて教えてください。

青木圭子さん

大きなきっかけが2つあります。 1つは、息子の何気ない言葉。
もう1つは、編み物教室の講師をしていた時に通われていた被爆者の方です。

まずは、きっかけの1つ目である息子さんの言葉について教えていただけますか?

はい。私には息子が2人います。
次男が大学生になった初めての夏休みに、東京から友達を連れて広島に戻ってきた時「せっかく広島に来たのだから、友達を平和記念資料館へ連れて行かなくちゃ。」と当たり前のように言ったんです。
息子にとっては、小学生の時から平和教育を受け、被爆体験を聞いたり、平和記念資料館に行ったりして大きくなったので、その行動は自然だったのだと思います。
しかし、私は長年広島に住んでいるにも関わらず「平和記念資料館を案内する」という発想がありませんでした。
人に紹介ができないほど、関心がなかった。知らなかった。ということに気がついて、「これではいけない。」と思いました。

ちょうどその時に、平和記念公園などを案内するヒロシマピースボランティアの募集があり、そこで勉強をしたいと思い、応募しました。

息子さんの行動で青木さんは「知らない」ことに気づいたのですね。
2つ目のきっかけとなった、編み物教室に通われていた被爆者の方のお話も教えていただけますか?

青木圭子さん

40代の頃、編み物教室で講師をしていた時期がありました。生徒の中に、広島で看護師として救護活動をされていた被爆者の方がいらっしゃり、私があまりにも原爆について何も知らなかったので、いろんなことを話してくださったんです。

一番印象深かったお話はどんな話でしたか。

青木圭子さん

どれも印象深いお話でした。
学生が軍需工場でつくっていた毒ガスを吸ってしまい、救護した話。
原爆投下直後に、1歳になる自分の赤ちゃんを兵隊に預け、被災者の救護にあたった話。
死にそうな人たちがいっぱい並んでいる中で軍医が「​助かりそうな人から助けろー!」と言った話。田んぼの中で出産があった話。本当にたくさんの生死の狭間を見たんだなと。
今思えば、もう少し、色々聞いておけばよかったなと思っています。

活動の中で大変だったこと。やりがいを感じたこと。

色々なきっかけがあった上で、平和活動を始められ、実際に活動をして大変だったことを教えてください。

大変だったことは、小さなことから大きなことまでたくさんありますが、小さなことは、広島出身者ではない分、町や川の読み方を知り、覚えることが大変でした。

大きなこととしては、被爆者の方から「私たちの追体験をしてください」という言葉を頂いた時です。
他の人の体験を自分の体験として捉えるにはどうしたらいいのか。被爆者の方が何を伝えたいのかを考えて、自分の言葉で誰かに伝えるためにはどうしたらいいのか、すごく悩みました。

被爆者の方々の体験を、ご自身の体験として捉えるために、どんな努力をされたのでしょうか。

青木圭子さん

まずは、本をたくさん読んだり、被爆者の方から話を聞いたりして、知識を増やしました。
知識は絶対に必要です。知識があった上で、気持ちを乗せないと、人に伝えるのは難しいと思います。
8月6日に行われる平和記念式典にも参加をするようになりました。

ある年に、原爆ドームの近くで8時15分を迎えたことがありました。
黙とうをしながら「もし、自分の子供が目の前の川で『助けて』と叫んでいたら・・・。」と考えた時「絶対同じことが今後起こってはいけない。原爆は、遠い過去の出来事でも、他人事でもない。」と強く思いました。
自分ごととして、原爆を捉えた瞬間だったと思います。

自分ごととして考えることが出来て、初めて自分の言葉で人に伝えることができるのかもしれませんね。

そうですね。思い返すと、ピースボランティアをはじめた頃は、あまり自分事として捉えることができていなかったのではないかと思います。
本で読んだことや、人から聞いたことを「こうなんですよ」と、そのまま受け売りで話していたというか・・・。

今は、修学旅行で広島に来る子供たちに「もし、自分だったら。」と想像をしてもらうようにしています。

自分が体験していないことを人に伝える中で、青木さんがお話をする時に一番大切に思っていることは何でしょうか?

青木圭子さん

「知識だけではなく、被爆者の想いも伝えていく」ことを大切にしています。
自分は広島の人間じゃないのに、被爆体験を伝えることができるのだろうか。と考えていた時、たまたまテレビで、アウシュヴィッツのボランティアガイドを見て勇気をもらったことがあります。
「アウシュヴィッツの出来事を体験していないあなたが、他の人に伝えることができるのか?」という質問に「戦争体験がないこと自体は問題ではないと思います。経験者は近い将来、必ずいなくなってしまうから。でも私には二度と同じことが起こらないようにする責任があります。戦争を知らない世代だからこそ、歴史を学び、乗り越え、伝えていく責任があるのです。」と、当然のように答えていました。
それを見て、例え広島出身でなくても「誰かに伝えたい」という気持ちがあれば、人に伝える活動ができるのでは。と前向きな気持ちになりました。

青木圭子

平和活動をして大変だったお話をお伺いしてきましたが、反対に活動の中で「やりがい」を感じたことを教えてください。

私がガイドをした内容を、未来を担う子どもたちが一生懸命受け止めようとする姿を見た時です。
ガイドが終わった後に「自分たちはこれから何をしたらいいのか。」と質問に来られた生徒もいました。
私が投げかけた言葉以上のものを受け取ってくれているような気がしています。そこが一番のやりがいです。

今後の課題や目標

平和活動は「続ける」ことが大変だとよく言われますが、青木さんはどのように時間を確保していらっしゃいますか?

青木圭子さん

日々の生活の中で平和活動の時間をどれだけ確保するかは人によって違ってくると思います。活動の頻度は、現実的な時間の問題だけではなく、心の変化でも変わっていきますよね。

私の場合は、子育てや仕事に追われる時期を卒業し、家庭のことも自分のことも、両方大切にできる環境下にいることは大きいと思います。

病気のために、2年間平和活動が全くできない時期もありました。
病気を克服して活動に復帰した時は「戻ってこない人が多いのに、良く戻ってきたね。」と周りから驚かれたのを覚えています。

2年間のブランクの後、平和活動に戻ろうとされた原動力は何だったのでしょうか。

元気になったら、嫌なことを我慢してやるのではなく、自分がやりたいことをやろうと思いました。
その中に、私にできる範囲で、被爆者の方々から頂いた言葉や体験を、次の世代に伝えていきたいという想いがあったのかもしれません。

ピースボランティアや伝承活動における、今後の課題や目標を教えてください。

青木圭子さん

2022年の被爆者の方の平均年齢は84.53歳です。
今まで多くの事を私に教えてくださった方々が、この数年間にどんどん亡くなられています。直接お話を伺う機会は、これからますます少なくなっていくのではないでしょうか。
被爆者の想いを受け継いでいかなくてはいけない。
自分が受け止めたものを1人でも多くの人たちに伝えていきたい。
忘れてはいけない。忘れないように次の世代に伝えていかなくてはいけない。

そう、強く思っています。

若い人たちへのメッセージ

最後に若い人たちへメッセージをお願いします。

被爆体験と一言で言っても、被爆者おひとりお一人に、それぞれの被爆体験があります。
あのときに亡くなった14万人の人たちに14万の死があり、すべてを知ることはできません。

私は、被爆体験伝承者として、被爆者の梶本淑子さんの体験を伝えていますが、最近では「家族伝承者」という制度も始まっていますね。
(注:令和4年度から、家族の被爆体験等を受け継ぎ、それを伝える「家族伝承者」の養成研修受講者を広島市は募集している。)

公に証言をされていない被爆者の方々も、まだまだいらっしゃると思います。

映画・演劇・音楽・朗読・小説・漫画など、いろいろな形で、自分が「伝えたい」ことを形にしていく。
手段は多ければ多いほどいいのではないでしょうか。

英語ができる人が被爆体験を英語で話せば、世界中の人に伝えることができます。
平和活動の方法は一つではありません。
皆が自分にできる方法で平和活動をして、結果たくさんの人たちに被爆体験が伝わり、後世に受け継がれていく・・・。
そして、世界中の人々が笑顔で暮らせる、そんな世界になったらいいと思います。

今日のインタビューに参加をされている方も若い人が多いですが、ご自身が受け止めたことを、ご自身のやり方で誰かに伝えていってください。
私も含めて、みんなで一緒にがんばっていけたらいいですね。本当にそう思います。

2022年10月 取材