ヒロシマの記憶を
継ぐ人インタビュー
受け継ぐ
Vol. 19
2024.8.30 up

原爆の話は、原爆投下の1〜2か月前から始まり、投下された当日やその後の2〜3か月で終わるものが多いように感じます。

鎌田 七男Nanao Kamada

広島大学名誉教授

鎌田 七男さん

今、ヒロシマを語り継いでいる人たちはなにを想い、何を伝えようとしているのでしょうか。
広島大学名誉教授であり、医師として長年広島で被爆者の診察や治療に携わって来られた鎌田七男さん(87)
広島大学での講義内容や、未来に向けて伝えたい想いを伺いました。

目次

  1. 2040年が「限界の年」
  2. 被爆には4つの種類がある
  3. 放射線の被害
  4. 被爆者の精神的なダメージ
  5. 継承塾を始めたきっかけ
  6. 自分事として考える「原爆の継承」とは

2040年が「限界の年」

今回は、長年にわたり医学の観点から被爆者に寄り添ってこられた広島大学名誉教授、鎌田七男先生にお話を伺いたいと思います。

鎌田七男さん

よろしくお願いします。

鎌田先生は医師として被爆者の診察を行っていらっしゃいますが、2001年から2017年までは、原爆養護ホーム「倉掛のぞみ園」の園長として、被爆者の方々と昼夜を共に過ごされてきました。
まもなく戦後80年になりますが、現在、被爆者の方はどれくらいご健在なのでしょうか。

鎌田七男さん

2023年3月の時点で、被爆者健康手帳の取得者は全国で約11万人です。

「広島・長崎原爆被爆者人口の将来予測」のグラフを見ていただくと分かる通り、2040年には広島の被爆者は1000人レベルになる※ことが予測されています。

※(参照)被爆者の現状と今後のケアー医療・介護の課題 創立70周年記念講演会講演集,公益財団法人広島原爆障害対策協議会、2023年9月

広島・長崎原爆被爆者人口の将来予測

私はこの2040年を「限界の年」と呼んでいます。

広島県における被爆者の平均年齢は85.0歳です。

被爆時に5歳以上で、かつ認知症がなく、当時の体験を話すことができる人は、あと数年でいなくなってしまうのではないでしょうか。

鎌田七男さん

広島・長崎以外で被爆者が最も多く生存している県はどこかご存知ですか?

インタビュアー

東京でしょうか?

鎌田七男さん

いいえ。答えは福岡県です。
各県の生存者数のグラフが示すように、2020年3月時点では、福岡に約5500人、東京に約4600人、神奈川に約3500人の被爆者がいらっしゃいます。

福岡県に被爆者が多くいらっしゃることに驚きました。

都道府県別被爆生存者

福岡は、長崎で被爆された方が多くいらっしゃいます。
大阪や山口は広島で被爆された方が多く、東京は広島で被爆された方が6割、長崎で被爆された方が4割という比率です。

みなさんには広島・長崎以外でも、被爆者の方のお話を伺うことができることを知っていただきたいです。

被爆には4つの種類がある

鎌田先生は、戦後からずっと被爆者の方々と向きあってこられましたが、原爆による被爆者の身体と心の問題について教えていただけますか。

鎌田七男さん

まず、被爆者についてお話する前に、被爆には4つの種類があることを知っていただきたいと思います。

1つ目は「直接被爆」です。これは、原爆が爆発した際に、中性子線やガンマ線を直接浴びた状態を指します。

2つ目は「入市被爆」です。原爆投下から2週間以内、爆心地より2km以内に市内に入り、電線や金属からの誘導放射線によって被爆した状態を指します。

3つ目は「救護被爆」です。原爆で亡くなられたご遺体を処理した際に、塵や埃を吸ったり、ご遺体が身に着けていた金属からの放射線によって被爆した状態を指します。「黒い雨」も救護被爆に該当します。

4つ目は「胎内被爆」です。母親の胎内にいるときに被爆した状態を指します。

さまざまな被爆の種類があるのですね。

鎌田七男さん

そうなのです。
まず「直接被爆」をされた方の身体への影響について説明します。
原爆のエネルギーは「爆風」「熱線」「放射線」で構成されます。
爆風は、打撲や外傷、難聴などの被害を引き起こします。
熱線は、火傷を引き起こします。
原爆が落ちた時、火の玉の周辺部の温度は7000度から8000度と言われています。
火傷はやがてケロイドになります。

鎌田七男さん

手足の関節を火傷した人は、関節が動かなくなり、アキレス腱に火傷を負った場合は、くるぶしがケロイドで固定され、歩行が困難になります。
また、口の周りの場合は、食事が困難になります。
健康な皮膚を移植しても、すぐには治りません。それはなぜだと思いますか?

インタビュアー

遺伝子が壊れていて、皮膚が再生できないからでしょうか。

鎌田七男さん

その通りです。
放射線が身体を貫通し、遺伝子異常が起こるのです。
そのため、移植をしても同じようにケロイドができてしまいます。
被爆後、半年から1年が経つと肉が盛り上がり、弾力性が出て、燃えるように熱く痛みます。
20年経ってもケロイドの症状は続き、初期に赤くなった皮膚は徐々に落ち着きますが、体調によっては再び赤くなります。
ピリピリする感覚があり、夜も眠れないことがあります。これが再発を繰り返すのです。
そういった症状が弱まるのは、原爆に遭ってから実に40年ほど経った後のことです。

放射線の被害

放射線による被害はどのようなものがありますか?

鎌田七男さん

放射線には「初期放射線」と「残留放射線」の被害があります。
具体的には、遺伝子や細胞異常が基になって、白血病、がん、放射線白内障、血管障害、甲状腺障害、小頭症などです。
白血病やがんの発生率は、被爆した年齢が若く、被ばく線量が高い人ほどリスクが高まります。
ここ20年前から2つ以上のがんを発症する「多重がん」が増加しています。
70歳を過ぎてから次々とがんを発症するケースもあります。
4〜10歳のときに被爆した人は、一般の人よりも身長が低い傾向にあります。それはなぜだと思いますか?

インタビュアー

遺伝子が壊れてしまったからでしょうか?

鎌田七男さん

そうです。若い人のほうが、細胞の分裂が盛んです。
成長期には、骨の末端(骨端線)で背が伸びますが、そこに放射線が当たると、細胞が死んでしまい、細胞分裂ができなくなります。
その結果、その年に伸びるはずだった身長が伸びず、平均よりも2〜3センチほど低くなってしまうのです。

原爆の放射線は、細胞レベルまで破壊する恐ろしいものなのですね。

鎌田七男さん

放射線を浴びると、体内のあらゆる臓器が異常をきたします。
一見健康そうに見える被爆者でも、染色体異常が見られることがあります。
当時17歳で直接被爆された方は、最終的に喉頭がん、皮膚がんなどを患い、最後は嚥下性肺炎で亡くなられました。
治療をした当時は化学療法がなく、放射線治療が唯一の方法でしたが、患者さんは「また放射線か」と嘆き、「もう放射線はこりごりだ」という思いが伝わってきました。

この方は「世界の人は広島という言葉は知っているが、広島で何が起こっているかは知らないじゃないか。被爆の実態を世に知らしめよ」とおっしゃっていました。

被爆者の精神的なダメージ

被爆者の方々は、精神的なダメージを抱えていらっしゃる方も多いと聞きます。

被爆者は自分の経験を話せない統計

新聞社の調査では、被爆者の23%、約4分の1の方々が、被爆体験を話していません。話せないのです。
私の患者さんの中にも、老後に自ら命を絶ってしまった方がいらっしゃいます。

被爆者の精神的なダメージの1つ目は「後悔と罪の意識」です。
原爆が落とされたとき、負傷者を助けられなかった、逃げるのに精一杯だった自分に対して、罪の意識と後悔がずっと残っている状態です。
「自分は悪い人間で、罪深い人間だ」と思い込んでしまうのです。

鎌田七男さん

2つ目は「限りない不安」です。
周囲の被爆者がさまざまな病気にかかっている姿を見ると、次は自分の番かもしれない、と考えてしまい、女性であれば不妊や出産に関する不安が常に付きまとっています。

3つ目は「あの場面からの逃避」です。
原爆のときの強い光、「ドーン」という大きな音、そして臭いに非常に敏感になっています。
肉や魚を焼く臭いを嫌う方もいます。
それは、死体を焼いたときの臭いを思い出すからだそうです。

4つ目は「死者への尊敬と畏敬の念」です。
原爆で亡くなった方々が、自分の身代わりで死んでくれたと考えています。
そのため、亡くなった方々を粗末に扱うようなことには、強い怒りを感じます。

最近では、「これ以上、迷惑をかけたくない」という言葉を被爆者からよく聞くようになりました。

「迷惑をかけたくない」というのは誰に対してのものでしょうか?

鎌田七男さん

それは「家族」に対してです。
原爆で生き残った方は、家族から1ヶ月以上手当を受けていらっしゃることが多いです。
「原爆当時にあれだけお世話になったから、もうこれ以上家族に迷惑をかけられない」とたくさんの方がおっしゃっています。

今までインタビューをさせていただいた被爆者の中には「被爆者というだけで、差別やいじめに遭った。」とおっしゃる方もいらっしゃいました。

鎌田七男さん

被爆者の生涯を飛行機に例えると、最初はジェット機で飛び立つのですが、たまたま自分の乗った飛行機が原爆を機に墜落します。
その後プロペラ機に乗り換えて飛び立つのですが、低空飛行をしながら人生を続けなければならないという状態なのです。
以前、原爆養護ホームへ平和学習のために学生たちが被爆証言を聞きに来ていました。
被爆体験を話した後、過去の出来事がフラッシュバックして夜に眠れなくなる入園者がいました。
そういった方々には、被爆体験や戦争体験を語って頂くことは一切しないよう配慮しました。
辛い経験をされた方に無理に話をしていただくことはせず、自発的に語り出すのを待っていただきたいと思います。

継承塾を始めたきっかけ

原爆が落とされた日のことは、教科書で学ぶ人が多いですが、その後のことを知らない人は多いのではないでしょうか。

鎌田七男さん

そうですね。以前、広島大学の医学部の学生たちに向けて「医学から見た戦争と平和」という講義を行いました。

原爆の話は、原爆投下の1〜2か月前から始まり、投下された当日やその後の2〜3か月で終わるものが多いように感じます。
学生たちにとって、原爆後の被爆者の実態について生々しく知ったのは初めてだったのではないでしょうか。

参照:YouTube https://youtu.be/0nkNUMLzTic?si=4d-lDGnCEtkMRj4X

※広島大学が行っている「近距離被爆生存者の医学的・社会学的研究」プロジェクトは50年続いており、被爆者の身体的・精神的な変化を含めて、被爆者の人生そのものを追求している。

鎌田先生は「ANT被爆体験継承塾」の講師もされていますが、継承塾をはじめられたきっかけを教えてください。

鎌田七男さん

2017年に原爆養護ホーム「倉掛のぞみ園」の園長を退任する際、一人の看護師さんからお手紙をいただいたことがきっかけです。

その手紙には、便箋3枚にわたり、被爆者のことや、現在も続く原爆症の問題、被爆の実相について詳しく知りたいと書かれていました。

この看護師さんのように、原爆被害について学びたいと考える人たちが集まる塾のようなものを実現できないかと考えていたところ、2017年に特定非営利活動法人ANT-Hiroshimaが1年間で全7回行う継承塾として実現してくださいました。

どのような方々が受講されていますか。

鎌田七男さん

若い世代の方々が多く受講されています。
ご夫婦で受講されている方や、テレビや新聞社などのメディア関係者など、さまざまな方が参加されています。
新聞で卒業塾生の記者の名前を見つけると、「ああ、頑張っているな」と思い、嬉しくなります。

自分事として考える「原爆の継承」とは

次世代の子どもたちや海外の方々に向けて伝えていきたいことは何ですか。

鎌田七男さん

原爆で何が起こったのかを自分なりに学び、正確に理解していただきたいです。
そして、それを自分の出来事として捉え、誰かに伝えていただきたい
と思います。
自分事として捉え、伝えていかない限り、継承は難しいと考えます。

原爆や戦争を自分事として捉えるためには、どのようなことをすればよいと思われますか?

鎌田七男さん

ご自身の家族史を作成してみてはいかがでしょうか。
身近にいる家族や親戚が、1945年頃に何をしていたのか、どの年にどのような出来事があったのかを、10年単位でもよいので年表にまとめてみてください。
家族の年表と被爆者の証言を照らし合わせることで、話がリンクしてきます。
家族史の中に被爆者が位置づけられることで、他人事ではなく、自分事として考えるきっかけになるのではないでしょうか。

医学的な観点から原爆被害について伺い、知らなかったことを知ることができました。
今日のお話を海外の方にもぜひ聞いていただきたいと思いました。

お話しした内容は、2021年改訂版「広島のおばあちゃん」という書籍にまとめています。
現在は、海外の方にも読んでいただけるよう、英語、フランス語、ドイツ語、スペイン語などに翻訳しています。
インターネットからどなたでも無料で読めるようにしていますので、ぜひご覧ください。

「広島のおばあちゃん」https://www.hiroshima.med.or.jp/ippnw/books/

2024年6月 取材